Home » LAFORET » LAFORET 2015年7月

LAFORET 2015年7月

旅の完成

「出会いの旅」などという言葉がありますが、旅を通して私たちは、今まで知らなかった町や人、そして様々な生き方と出会います。日常を離れて旅先で味わう出会いや感動は、私たちをリフレッシュさせてくれますし、時には自分自身を発見することもあると思います。

そんな旅の魅力について話していた時、ある方が「旅を完成させるのは家に帰った時ではないか」とおっしゃたことが心に残っています。旅から帰ってきた時に、家族からどのように迎えられるかで、その旅の印象がずいぶん違うものになるということを、体験を通して感じていらっしゃったようですが、なるほどと思わされました。確かに、どんなに素晴らしい旅であったとしても、家に帰った時に、誰からも「お帰りなさい」と声を掛けて貰えなかったり、土産話に耳を傾けてくれる人がいない場合は、旅の余韻は急に色あせたものになるに違いありません。逆に、旅の感動を分かち合う家族や友達がいるなら、それは更に大きな喜びとなり、毎日の生活への現実的な力となることでしょう。

ところで、人生を旅になぞらえることがありますが、元上智大学のアルフォンス.ディ-ケン先生の著書「第三の人生」の中の、「人生は旅である」というエッセイで、氏は次のように人生を三つの段階に分けています。

『第一の段階は青少年期で自己を確立し自分の方向を見いだすためにさ迷う時期、第二の段階は中年期で腰をすえて自分の生活を築き上げる時期、そして第三の段階が老年期で、否が応にもまなざしを永遠に振り向けねばならない時期』。

自分の力で人生を切り開き、耕すことに力を注ぐ第一、第二の段階を経て、やがて自分の力ではどうすることもできない第三の段階にきた時、人は否が応にも人間を超えた存在に目を向けていくことになるのでしょう。そのような人生を辿ることの多い私たちに対して、その昔、栄華を極めたイスラエルの王ソロモンは、晩年になって次のように詠いました。

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」(旧約聖書:伝道の書12章1節)

誰もが豊かな人生を夢見ていますし、美しく老いたいと願っていますが、必ずしも思い通りにいくわけではありません。人の一生に苦労はつきものといわれるように、私たちはどんな人生の旅を辿ることになるか分かりません。しかし、「あなたの造り主」である神を覚えることによって、「楽しみのない」人生ではなく、自分の人生を振り返って感謝することができるようになるなら、何と幸いでしょうか。いつどのようにその日を迎えることになるか、誰にも分かりません。願わくば、造り主なる神との出会いの中で、人生の旅を歩んでいきたいものです。


 

教会ピクニック

家庭・福祉会では5月31日(日)に教会ピクニックを計画しました。前日の天気予報では当日の午前中は雨の予報でした。神様に雨を遠ざけてくださるようにお願いしたら、好天になりました。暑い位の陽射しになりましたが、緑の木陰も多く、午前中はガイドさんの案内で園内の由緒ある建物などの説明を受けました。(桃山時代、江戸時代のもの、京都などから移築)参加者は26名(家族1名、友人3名含む)二組に分かれて案内して頂きました。ガイドさんの個性が出て案内の仕方が違うそうで、歴史に詳しい方と、原三渓が大好きという方が案内して下さいました。

足の弱い方もあるので余り歩かないで、1時間でとお願いしていたのですが15分延長になってしまいました。途中休憩がなかったため、お疲れの出た方がありました。今度は元気な方と、足の弱い方と別のグループにしてはと考えたりしました。楽しい昼食会の後は自由に散策して頂き、2時には乗車して3時位に教会に帰り着きました。暑かったため、皆様のお疲れが癒されるようにお祈りしました。(藤高邦子)

 

三渓園に行って来ました。下見に行った時は桜が満開でしたが、季節も移り白や紫の花菖蒲が咲き睡蓮もちらほらと咲いていました。園内は広大で、はるか昔に建てられた建物が移築され重要文化財に指定された建物もあるそうです。三渓は生糸商から財を成した一方、茶道、書もたしなみ横山大観、岡倉天心など資金援助を惜しげなくしたそうです。

記念館に行きますと、この建物も土地も創造主のものと記した書き物をみることが出来ます。同じ横浜市で、これほど歴史自然を感じられる所は、他に無いと思います。一日では見きれないです。また、ほかの時期にきたいと思いながら家路を急ぎました。(藤原いずみ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*