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Laforet 3月号

「燃え尽きない柴」

旧約の民をエジプトから導いた偉大な指導者モーセは、指導者として舞台に上がる前、若い時に大きな試練に直面します。彼は同胞のイスラエルの民を救おうとして殺人を犯してしまうのです。この時、モーセは捕まるのをおそれ逃亡しました。彼は聖書の舞台から降りることになります。それから40年後、モーセは神様から呼び出され、再び舞台に上がることになりますが、この時モーセに何があったのでしょうか。

出エジプト記3章にその時の光景が記されています。モーセは羊の群れを追って行き、ホレブという山にたどり着きます。

「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」(出エジプト記3章2、3節)

モーセが見たのは、燃え上がっている炎、そして燃え尽きない柴でした。彼はこの柴に興味を持ってしまったのです。この炎、柴は何を象徴しているのでしょうか。これらは、神様の思い、情熱を象徴しているのです。モーセは同胞であるイスラエルの民を救おうと情熱を燃え上がらせ、誤って殺人を犯してしまいました。その時、彼が持っていた情熱はどうなったでしょうか。その情熱の炎は、水をかけられ、すぐに消えてしまったのです。だから彼は逃げてしまいました。その後は隠れるだけの逃亡生活。残念ながらモーセは情熱の炎は再び燃え上がることはなかったのです。

しかし、これはモーセに限りません。私たちの情熱は、一時的に激しく燃え上がっても、すぐに燃え尽きて消えてしまうのです。「燃え尽き症候群」という言葉もあります。情熱を傾けて仕事をしていても、定年になったり、挫折を体験したり、疲れたりすることによって、ぱったりと火が消えたようになってしまう。モーセも40年間この燃え尽き症候群になってしまったのです。

このような時にモーセは燃え尽きない炎を見てしまったのです。そして自分の中の炎が燃え尽きてしまっていることに気が付いたモーセは、この燃え尽きない炎、柴の不思議さに引かれて近付いていったのです。

もし、私たちがこのような燃え尽きない情熱を持つことが出たならどんなに素晴らしいことでしょうか。しかしそれを持っているのは神様だけです。

5月に亀甲山教会では連続講演会を行います。この講演会は一過性の行事ではありません。神様から頂くことのできる燃え尽きない炎に火を付けることを目指して行うのです。一度火を付けることができれば私たちはいつも教会に炎を燃え上がらせることができるはずです。燃え尽きない情熱に関心はないですか。モーセのようにこの情熱を頂くために、あなたも神様の御前に進みましょう。そして燃え尽きない柴をいただきましょう。