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Laforet 8月号

「弟子の足を洗う」 亀甲山キリスト教会牧師 小林勝
 新約聖書のヨハネ13章にイエス様が弟子たちの足を洗われたことが記されています。当時の慣習によれば、イエス様と弟子たちが過ぎ越しの食事をするために家に入ったとき、僕が足を洗うことが常でした。舗装されていない道を歩くと足が汚れたからです。しかし、僕がいなかったので、弟子たちのうち誰かがその役目をする必要がありました。なぜ、弟子たちでなく、イエス様が弟子たちの足を洗われたのでしょうか。
 理由は弟子たちの心の中に自分たちの中で、「誰がいちばん偉いだろうか」という議論があったからです(ルカ22:24参照)。もし、誰かが僕として足を洗うなら、イエス様が建てる王国でいちばん低い立場でいいと表明することになると考えていたからでした。お互いの様子をうかがっている中、イエス様が弟子たち一人ひとりの足を洗われたのでした。
 弟子たちの中で意見を自由に述べるペテロが「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」(ヨハネ13:6)と聞きました。弟子たちはイエス様が足を洗っているのを見て、自分が恥ずかしくなりました。イエス様は弟子たちの足を洗い終わった後で、彼らに学んで欲しいことを述べました。
「さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」ヨハネ 13:12-15
 わたしたちは、謙遜なイエス様と傲慢な気持ちのままでは一緒に歩むことができません。
パウロはキリストのようになりたい人に助言を与えています。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、」ピリピ2:3
 神様に謙遜な心を与えてくださるよう求め、イエス様と一緒に歩んでいけるようにしていただきたいと思います