「我々にかたどって」 亀甲山教会牧師 平賀和弘
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』」(創世記1章26節)
神様は、地球上に数多くの動物と植物を満たされてから、そこに住むにふさわしい人間を造られました。聖書は、人類の起源についてはっきり言及しています。人間は、アメーバに起源があるのではありません。また、偶然の産物で、猿から進化したのでもありません。人類の起源は、神様にあります。人間は、神様によって造られました。また、神様は、暇つぶしに、あるいは、なんとなく人間を造られたのではありません。神様は、人間をご自身の造られた美しい世界の統治者として造れられました(創世記1章26節)。
「我々にかたどり」という箇所のヘブライ語(旧約聖書の原語)は、外面的な性質を、また、「我々に似せて」という箇所のヘブライ語は、内面的な性質を指しています。人間は、外面的にも、内面的にも、神様のかたちを保ったものとして創造されました。また、神様は、人間をロボットのようには造られませんでした。人間には、自由な意志を与え、神様との交わりを楽しみ、愛する者として生きるか、それとも、神様を拒み、自己中心的に生きるか、選ぶ能力が与えられているのです。
さらに、神様は、人間に「すべてを支配させよう」と言われました。この「支配」という言葉には、「降りる」とか「下る」という意味があります。神様が意図された支配とは、高いところから「俺は支配者だ」と威張るような支配ではなく、他の被造物のレベルまで人間が降りて行き、共感し、同情し、問題に対応するような支配を意味します。神様は、人間を他者と共に生きる者として、もっと積極的に言えば、ご自身の性質を備えた、他者のために生きる者として造られたのです。
ここ数年、私たちはコロナの影響のために、人と人との物理的距離が求められました。そこで知ったことの一つは、他者と交わることの大切さではないでしょうか。しかし、その一方で、行動制限が解除されつつある今、再び他者との交わることのしんどさや、おっくうさを感じることがあるのかもしれません。そんなとき、神様の御言葉に立ち帰り、人間が造られた意味について考えてみたいと思います。