La foret 11月号
「わたしは戸口に立って、たたいている」 亀甲山教会牧師 平賀和弘 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があ … 続きを読む…
「わたしは戸口に立って、たたいている」 亀甲山教会牧師 平賀和弘 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があ … 続きを読む…
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3)
「キリストの体」 亀甲山教会副牧師 松下晃大 秋の訪れを感じる季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。先月9月6日から8日にかけて、亀甲山教 … 続きを読む…
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった(ヨハネ1:1)
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ11:25,26)
イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。(ヨハネ20:30,31)
彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである。」(ヨハネ4:42)
するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。(マルコ16:6)
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ15:34)
「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。(マルコ14:36)