ヨハネ1:18
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。(ヨハネ1:18)
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。(ヨハネ1:18)
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ14:6)
しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。(ヨハネ5:36)
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。(ヨハネ20:29)
そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう。(ヨハネ12:32)
「わたしは戸口に立って、たたいている」 亀甲山教会牧師 平賀和弘 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があ … 続きを読む…
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3)
「キリストの体」 亀甲山教会副牧師 松下晃大 秋の訪れを感じる季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。先月9月6日から8日にかけて、亀甲山教 … 続きを読む…
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった(ヨハネ1:1)
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ11:25,26)