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LAFORET 2017年5月

「迷っているもの」     亀甲山教会牧師・伊藤裕史

昨年5月北海道で小学2年生の男の子が行方不明になった出来事を覚えていますか。行方不明になった経緯についてもいろいろと取りざたされましたが、報道されると日本中で無事が祈られました。男の子が食料も持たず、寒い雨の中にいることから、ずっと捜索が続けられました。6日目、もう誰もが助からないだろうと思っていた時に、行方不明になった場所から8キロ離れた自衛隊の施設にいた男の子が発見されました。本当によかったと思いました。

皆さんはこれまで迷子になったことはありますか。私は小さい時に2度迷子になったと聞いています。「聞いています」というのは、自分は迷子になったという思いがなかったからです。どちらも小さい時でしたし、一度は兄といっしょの時で、パトカーで運ばれて警察署で遊んでいたところを親に迎えに来てもらったそうです。

北海道の小学生がどのような経緯で8キロの道のりを歩いたか、ということの続報を聞いていません。しかし、この小学生は最初自分が迷子になっているとは気がつかなかったのではないでしょうか。自分が迷子になったと気がついたら、暗い中恐ろしくなり歩いていくことはできなかったと思うからです。ほとんどの迷子は、最初自分が迷子であると気づかずに離れて行き、戻るべき場所に戻ることができなくなるからです。

聖書の中に、実は世界で最初の「かくれんぼ」の記事が載っています。旧約聖書の創世記、アダムとエバの出来事です。

罪を犯したアダムとエバは、その後神様の足音を聞いて隠れてしまうのです。実はその時、罪を犯したアダムとエバはすでに迷子になっていました。それにもかかわらず隠れてしまったのです。自分が迷子になっていると知らなかったからです。アダムとエバの罪を受け継いでいる私たちも実は迷子なのです。一番の悲劇は自分が迷子であると気がつかず、本来いなければいけない場所から離れてしまうことです。

しかし、迷子になりかつ隠れてしまったアダムとエバに神様はやさしく「あなたはどこにいるのか」(創世記3:9口語訳)と呼びかけて下さいました。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカによる福音書19:10)

人の子とはイエス様のことです。イエス様は今も「あなたはどこにいるのか」と声をかけておられるのです。あなたが失われたもの、迷子かどうか分からなくても、この声を聞いたなら、「はい、ここにいます」と答えましょう。必ず迷子から救われるでしょう。