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Laforet 6月号

   「契約を結びましたか?」  亀甲山教会牧師 伊藤裕史

私たち日本人があまり意識していないけれど、聖書全体を通して大切な思想があります。それは「契約」という概念です。皆さんは、契約を意識して生活をしていますか。スーパーで物を買う時も、自動販売機で飲み物を買う時も、バスに乗って教会に来るときも、実は様々な契約を結んでいるのです。

そもそも、聖書の旧約、新約の「約」とは契約・約束を意味しています。人と人が結ぶ契約もありますが、何よりも大切な契約は、神様と人との間に結ばれた契約です。イスラエルの民が意識していた契約は、「主がイスラエルの神となり、イスラエルは主の民となった」ということでした。

皆さんがよくご存じの十戒も契約の中にあります。神様はイスラエルの民に十戒を授けました。リーダーであったモーセは、これを契約の書としてイスラエルの民に朗読し、神様と契約を結んでいるのです。

さて、日本人は契約を結ぶときによくハンコを押しますが、外国の方が困るのは、このハンコ。日本では部屋を借りる時などに必ず必要ですが、サインの国の人にはなかなか理解されないようです。日本では判を押すと、その人がその契約を結んだことを示します。

十戒の時はどうだったのでしょうか。ハンコを押したのでしょうか。出エジプト記24章6節から8節までに当時の状況が記されています。「モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」モーセは、ハンコを押しませんでしたが、2つのことをしています。一つは、民たちに「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言わせていること。これが契約の成立を意味します。もう一つは、いけにえの血を鉢に入れ、半分を祭壇に、半分を民に注ぐことでした。血を祭壇に注ぐことは、神様がこの契約に責任を持つということ。一方、民に血を注ぐということは、守らない時には、血を持って報いるということを意味しています。今でいうと、違反したときの責任、損害賠償責任を明らかにしています。この血がハンコと同じ働きをしているのです。

私たちも約束を守らないといけない、と教えられます。でも嘘をついてはいけない、「針千本飲ます」の意識です。しかし、神様との契約は実際の動物の厳格な血によるハンコ、これが契約の民と言われたイスラエルの原点になっているのです。

皆さんはどんな契約を神様と結んでいますか。一度考えてみましょう。