「ヨシヤ王の発見」 亀甲山キリスト教会 牧師 伊藤裕史
今から2600年ほど前、イスラエルの南王国ユダにヨシヤという王様がいました。ヨシヤは王であるお父さんが、謀反をおこした家臣に殺され、突然8歳で王となります。その後、約31年もの間国を治めるのです。ヨシヤは神様の示す道を歩み続け、模範とすべき偉大なダビデ王の歩んだ道からそれることがなかったと聖書に記録されています。(列王記下22:2)
このヨシヤ王が行った最大のことは、当時の人々の生活と宗教の改革でした。小さくして王となったヨシヤがなぜ、自分だけでなく人々を巻き込むような改革を行うことができたのでしょうか。
聖書にはその時のことが記されています。「大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、『わたしは主の神殿で律法の書を見つけました』と言った。」(列王記下22:8)大祭司が律法の書、つまり聖書を見つけたと言っているのです。ヨシヤの時代、神殿の修復作業中に、これまで失われていた聖書が発見されたのです。聖書が見つかった、不思議だと思いませんか。実はマナセ王の時代、聖書は破り捨てられ、神殿の中にあったはずのものもなくなってしまったのです。その後ユダの国から聖書は消えていたことになります。ヨシヤの時代は、かろうじて神様の教えが、口伝えで引き継がれていた時だったのです。言い伝えられた教えの中で、心から神様を信じる人々でさえ神様の約束は果たされるのだろうかと疑っていた時代。この時すでに北王国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされていました。だから、この失われていた聖書がヨシヤ王の時に発見されたことは、まさに世紀の大発見だったのです。
この時、発見された聖書の言葉を聞いたヨシヤの姿が聖書に書かれています。
「王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。」(列王記下22:11)
衣を引き裂くというのは、当時激しい怒り、悲しみを意味しています。ヨシヤは聖書のみ言葉を聞いた時、自分たちがどれほど神様の思いから離れていたか、神様を悲しませていたかを知ったのです。そして命じます。「この見つかった書の言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」ヨシヤの改革はここからは始まりました。
皆さんがもし、少しでも変わりたいと思うなら、もう一度ヨシヤのように聖書の言葉を開いてみましょう。新しい発見があるはずです。