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Laforet 7月号

   

「看板を背負う」亀甲山キリスト教会牧師 伊藤裕史

七月に入りました。七月と言えば夏休み。以前いた北浦三育中学校で、夏休み前に生徒に必ず言うことがあります。「皆さんは北浦三育中学校の看板を背負っているのだから」という言葉です。もちろんこの後に続く言葉は「責任ある行動を」です。中学生は全寮制の学校でいつも誰かが一緒にいる生活をしています。でも夏休みに入ると、これまでの世界とは違って別の「自由な世界」へ一気に入って行くのです。そんな中で彼らは、学校では経験することのないこの世の誘惑に打ち勝たなくてはいけないのです。そんな時、中学生の心にブレーキをかけるための言葉です。どれだけ効果があったかは分かりませんが大きな問題は起こさなかったようです。「看板を背負う」さて、皆さんには何か背負う看板がありますか。
今のネットの中の社会は比較的匿名性が守られています。実際の世界と違って看板を背負わなくてもいいのです。これは気軽に発言できるメリットを持っています。一方発言しても直接本人が表に出ないことで重みを持たないものになったり、なんでも言っていいという気持ちになってブレーキがかからなくなったりするのです。そこで真実の確認をすることなく、感情にまかせた「炎上」が起こったりするのです。誰もが加害者にも被害者にもなる危険があるのです。こんな時、私たちはどのようにして心にブレーキをかけるのでしょうか。
そんな時に考えてほしいことがあります。最近のニュースの中で事件が解決される時に、いろいろな防犯カメラや、車載カメラの映像をつなぎ合わせて犯人までたどり着いていることを聞きます。誰かが見ているのです。ネットでも一緒です。実は今の社会で完全な匿名性はないのです。追跡しようとすればできる社会でもあるのです。だったら、逆に看板を背負って責任ある行動をする方が良いのではないでしょうか。
誰もが持っている看板があります。それは「神様から愛されている」という看板です。神様は私たちを愛して下さり、私たちのすることを見ていて下さるのです。愛する人が見ている中で、私たちはその人を悲しませることができるでしょうか。そうではなく、その人を喜ばせたいと思いませんか。イエス様のもう一つの名は「インマヌエル」、神様は私たちと一緒におられるという意味を持っています。イエス様が一緒にいらっしゃることを忘れずにいればブレーキにもなるし、良いことをする推進力にもなります。そうであるならば、堂々とこの看板を掲げよう、背負おうではありませんか。
皆様に(看板倒れにならないように)神様の豊かな支えがありますようにお祈りしています。