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Laforet 9月号

「わたしのもとにきなさい」   亀甲山キリスト教会牧師 小林勝
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
 これは新約聖書のマタイによる福音書11章28節の言葉です。イエス様はある特定の国や、職業、年齢や生別の人を招いているのではありません。イエス様は「だれでも」と言い、すべての人に、「わたしのもとに来なさい」と呼びかけておられます。それは2000年前、イエス様が地上に来られたときも今も変わりません。
 現代社会において疲れていない人、重荷がない人は大人も子どももいません。朝早くから夜遅くまで仕事や家事、育児、勉強、その他に追われています。社会を支えるために夜、みんなが寝ている時間に働いている人たちもいます。引退したら重荷が無くなるわけではありません。なぜなのでしょうか。
 「疲れ」「重荷」というと、肉体的な「疲れ」「重荷」を考えがちですが、心や精神的な「疲れ」「重荷」があるからです。すべての人はこの両方に起因する「疲れ」「重荷」を持ち苦しんでいます。世界中がコロナ禍にある今は更にその「疲れ」「重荷」を抱えている人が増えています。そのような私たちをイエス様は「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いてくださっています。
 聖書は私たちの「重荷」の原因が罪であると教えています。詩篇記者は「わたしの罪悪は頭を越えるほどになり/耐え難い重荷となっています。」(38編5節)と述べています。しかし、ありがたいことにイエス様はその罪の重荷を負ってくださるというのです。「わたしのもとにきなさい」という招きに「ありがとうございます」と応えればよいのです。重荷が重ければ重いほど、その重荷を負ってくださる方にまかせた時の休みは有難いものです。
このことはイエス様がわたしたちと人生の歩みを共にしたいと願っていることを教えています。なぜなら、罪は自己中心で神様抜きに生きることだからです。イエス様は続けて言われました。
 「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ 11 章29節、30節)
 イエス様の招きに応え、イエス様と共に他者のために生きる生き方へと歩みを踏み出してみませんか。