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La foret 11月号

「空白の時間」     
亀甲山教会牧師 平賀和弘

「二人の息子を連れて来た。一人は、モーセが、「わたしは異国にいる寄留者だ」と言って、ゲルショムと名付け、もう一人は、「わたしの父の神はわたしの助け、ファラオの剣からわたしを救われた」と言って、エリエゼルと名付けた。」(出エジプト 18:3-4)

 モーセの人生は、主に3つの期間に分けることができます。まず、エジプトで過ごした40年間です。幼少期、彼はイスラエル人である母親の熱心な祈りと教育のおかげで、聖書の神様に対する信仰を身につけています。しかし同時に、周りの環境にも影響を受けました。彼は、エジプトの国王の孫として育てられました。エジプト人として受けた教育、偶像礼拝の儀式、いたるところに見られる贅沢などは、  彼の品性の形成に強い影響を与えました。
 次の期間は、40歳から80歳までの期間です。転期となったのは、モーセが殺人事件を起こしたことでした。イスラエル人の同胞がエジプト人に打たれているのを目撃した彼は、エジプト人を殺してしまいます。彼は、このためにクーデターの疑いをかけられ、身を守るためにミディアンの荒野に逃亡し、そこで40年間過ごすことになりました。
 モーセがイスラエルの指導者としてエジプトの王の前に登場したのは、彼が80歳の時でした。第三の期間の始まりです。彼は、イスラエルのリーダーとして40年間神様に仕え、120歳で息を引き取りました。
 さて、40歳から80歳までの期間が、「空白の期間」と呼ばれることがあります。モーセは歴史の表舞台から姿を消しています。しかし、それは、神様に用いられるために、モーセにとって必要な期間でした。「モーセは、エジプト人を殺したとき、父祖たちがくりかえして犯したと同様に、神がご自身でなしとげると約束されたことがらを自分の手で実現しようとする同じあやまちを犯した。モーセが考えたように、戦争によって民族を解放しようとすることは、神のみこころではなかった」(『人類のあけぼの』上 p.282)。彼は、神様に頼ることを学ぶ必要があったのです。
 ヨブ記は、モーセがミディアンの荒野で書いたとされています。彼は、この長く苦しく、誰もが避けて通りたい、また、無駄な時間と思うときに、神様と交わり、神様への信頼を深めました。
 モーセは、長男が生まれたとき、孤独と望郷のあまり、わが子に「ゲルショム(わたしは異国に寄留する者)」と名付けました。しかし、次男には「エリエゼル(神はわたしの助け)」と名付けています。神様を信頼して、安心して生きるようになったからでした。私たちも、神様に信頼することを覚え、神様の御心にかなった人生を歩みたいと思います。