「揺らぐことのない信仰」 亀甲山教会牧師 平賀和弘
「揺らぐことのない信仰を持たなければならない」と言われることがあります。例えば、「終わりの時にさまざまな試練が起こる。神の民はこれらの悩みの時を前にして、揺らぐことのない信仰を持たなければならない」というようにです。もしかしたら、多くの方が、「アーメン(その通り)!」と思いながら、その一方で、「私はそんな信仰が持てるだろうか」「私には無理ではないか」と不安になったり、心配になったりするのかもしれません。揺らぐことのない信仰とは、どのような信仰なのでしょうか。
揺らぐことのない信仰とは、揺れ動かない強い信仰を持とうとするのではなく、揺れ動く弱さを持ちながら、決して揺らぐことのない主に頼るということです。揺れ動いてもいいのです。その揺れ動く私たちを主はしっかり支えてくださいます。
ですから、神様から離れているのではないかと悩むとき、救われたときの熱い信仰が感じられないとき、自分の不信仰に悲しむとき、主の御前にもう一度進み出ましょう。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(マルコによる福音書9章24節)と、ありのままの姿で主に助けを求めましょう。
エレン・ホワイトは、次のように述べています。「国が始まってからその時に至るまで、かつてなかったほどの悩みの時の最中に、神に選ばれた人々は揺らぐことなく立つのである。サタンは悪の全軍をもってしても、神の聖徒たちの最も弱い者をさえ滅ぼすことはできない。強い力をもった天使が彼らを守る。そして主は、主に信頼する者を全く救うことがおできになる『神々の神』として、彼らのためにご自身をあらわされるのである」(『国と指導者』下巻、121頁)。
私たちの苦しみは苦しみで終わりません。なぜなら、イエス様が計り知れない愛と計画を持って、苦しみの先へと私たちを導いていてくださるからです。病気になられた方が、「病気になって聖書を読んだ。聖書の言葉が心にしみた」とおっしゃったことがありました。私にも経験のあることですが、普段何気なく読み進める聖書の言葉が、悩みの時には心にしみるということがあります。御言葉が心にしみて、神様が共におられることを知るのです。神様の臨在が悩む者を慰め支えます。人は、悩みの時を通して自分の弱さを知り、神様の愛を知るようになるのかもしれません。揺れ動く者をしっかりと支えてくださる主を賛美します。