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La foret 2月号

「見えないものを信じて生きる」 亀甲山教会牧師 平賀和弘
  「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
(コリントの信徒への手紙第二 4章18節)

この手紙を書いたパウロは、目に見えるものに一喜一憂するのではなく、目に見えないものを信じ、落ち着いた生活を送っていました。今、見ているものでそのまま残るものは何一つありません。しかし、見えないものはいつまでも存続します。大切なものはいつまでも残るからです。見えるもの以上に価値があるものは、目に見えないものです。
 パウロは、上記の文章の直前に「わたしたちは落胆しません」(Ⅰコリント4:16)と書いています。「落胆しません」と訳されているもとのギリシア語には、「疲れない」「怠けない」「仕事を放り出さない」という意味もあります。パウロは神様の言葉を伝える使徒の働きを担っていました。その働きはストレスがなかったのでしょうか。疲れなかったのでしょうか。そんなことはありません。聖書は、パウロが投獄されたり、迫害を受けたりしたこと、また、愛に生きようとしても愛することができない自分に悩んだことを記しています。
 そんなパウロが、なぜその働きを放り出さなかったのか。落胆せず、疲れなかったのか。それは、目に見えないものであるイエス様に目を注いでいたからです。パウロは、神様から愛されていること、赦されていることを信じ、神様の豊かな恵みを感謝していました。そして、その愛するイエス様に仕え、共に悩み、共に喜んでいました。だから、がっかりせず、疲れず、その働きを続けることができたのです。
 パウロが、「わたしたちは落胆しません」と、「わたしたち」と言っていることに注目したいと思います。落胆しないのは、パウロだけではありません。パウロと同じように主を信じる信仰の仲間も落胆しないのです。イザヤは、次のように語ります。
「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書 41章31節)。鷲は、ほとんど羽ばたかず、上昇気流に乗って上昇します。主を信じる者たちも同じように、主の力によって支えられ、その働きを続けます。
 見えないものに目を注ぎ、イエス様を信じて、私たちも落ち着いた生活を送り、福音宣教の働きをまっとうしたいと思います。