「コロナ感染から何を学ぶか」 亀甲山キリスト教会牧師 伊藤裕史
新型コロナウィルスの世界的パンデミックが宣言され、教会は休会。様々なプログラムを行うことができなくなりました。今年楽しみにしていたオリンピックも来年への延期が決まりました。(私の誕生日に行われる開会式も幻になりました)身近な生活も影響を受け、外出を控える日々が続いています。
私はこの出来事で2011年の東日本大震災の時を思い出します。町では人々が軽いパニックに入り、店からはマスク、消毒液、トイレットペーパーなどが消え、首都封鎖が叫ばれると米やラーメン、スパゲッティが消えていくという事態になっています。聖書の中に預言されている「終末の徴」の様相を見せています。聖書は預言しています。「そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」(ルカ 21:11)
しかし、出来事だけに注目すると、神様の本当の思いから離れていってしまいます。私たちが注目しなくてはいけないのは出来事でなく、人の心で何が起こっているか、ということです。
最初中国で、そしてクルーズ船で感染が広がった時、私たちは映像の中で、人と人の距離が広がっていくのを見ました。中国から帰ってきた人たちをホテルで隔離した時には、感染したくないから「近づかない」。感染した人から「距離を置く」。それだけに留まらず、ホテルの従業員、そしてご家族の人たちへの「差別的な行動」が報告されるようになりました。出来事の裏で人と人の距離が広がっていった、「多くの人の愛が冷え」ていったのです。(マタイ24:12)私はこれが終末に起こる出来事で、最も大きなことではないかと思っています。
あの時に、反対にホテルの外で人々を励ます人々も現れました。浜辺に文字を書いたり、灯をともして「励ます人々」が出てきたのです。聖書は言っています。「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ 24:13)実は愛が冷える一方、愛があらわされることも起こっているのです。
あのクルーズ船の騒動から時間が経ちました。状況は好転の兆しを見せてはいません。悪いニュースを聞き続け、私たちにストレスが徐々に溜まってきている気がします。その中で悪いことばかり考えてしまっている自分に気が付くのです。それは何もしないからです。
しかし聖書は私たちに語りかけています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」これは単に守りに入って耐えることではなく、愛を広げていく、攻めの姿勢も含まれているはずです。今できることの中で私たちは何ができるのでしょうか。このような時だからこそ、神様から力を頂き、愛を広げていく証人として、立たせていただきたいと思います。