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LAFORET 2016年12月

プレゼント

早いもので、今年も残すところ一ヶ月足らずとなりました。師走になると、毎年のように誰もが忙しげで、何となくウキウキした気分になるのは、クリスマスやお正月を控えているからなのかも知れません。昔はお正月に向けて気分が高揚していったものですが、今はクリスマスの華やかさが同じくらいの比重を占め、ツリーがあちこちで飾られ、ジングルベルが流れてクリスマスムードが高まってきます。町ではプレゼントを買い求める人たちの姿が行き交うことでしょう。今やクリスマスは、すっかり宗教を離れて日本の行事の一つとして定着したようです。

ところで、クリスマスと言えば、「ケ-キとサンタのプレゼント」と相場が決まっているようですが、プレゼントの意味を考える上で、オ-・ヘンリ-の短編「賢者の贈り物」は、大変示唆に富んだお話のように思われます。

「妻のデラは夫のジムに素敵なクリスマスプレゼントをしたいと、食費まで節約しているのですが、明日がクリスマスというのに、ほんのわずかのお金しか手元にありません。しかし、ジムが大切にしている金時計にプラチナの鎖を買ってプレゼントしてあげたいと思っているデラは、ついに長く美しい自慢の髪を切って売ってしまうのです。

ところが、ジムはデラのために大切な自分の金時計を売って、彼女が以前からあこがれていた櫛のセットを買ったのでした。そしてクリスマスの朝、二人は用意したプレゼントがもはや役に立たなくなったことを知るのですが、そのことにがっかりするよりも、寧ろお互いの愛を確認しあうことが出来たのでした。」

さて、ジムとデラはそれぞれ相手に対する愛と献身を、自分の持っている最上のものを与えることによって表したこの話は、プレゼントの値打ちは、そこに込められた愛によって決まることを教えています。

聖書には「神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)と記されていますが、神様は私たちをお救い下さるために最大の犠牲を払って、御子イエス・キリストをプレゼントして下さいました。そのイエスの誕生を喜び祝って、三人の博士達が贈り物を捧げたことから、クリスマスにプレゼントを贈る習慣が生まれたのですが、クリスマスの精神は、まさにプレゼントの精神、つまり「与える精神」といっても差し支えないのです。

真の愛は痛みを伴うものです。それは自分の大切な何かを犠牲にすることであり、時には苦しみや涙を伴うかもしれません。たとえ払った犠牲が評価されなくても、喜んで与えようとする精神、それが愛というものではないかと思います。ともすれば自分本位になりがちな私たちですが、プレゼントの意味を改めて思い起こし、私たちの家族や大切な一人ひとりに、そして様々な現実の中で苦悩しているお一人お一人に真心を添えていきたいものです。