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LAFORET 2016年10月

微笑み

私のご近所に、いつお会いしてもニコニコと満面の笑みで挨拶して下さる方、また控えめではあっても、いつも優しい笑みを浮かべている女性たちがいらっしゃいます。今の住まいに引っ越してきた当初、様子の分からない私たちは、この方々の笑顔にホッとさせられましたが、今でもお会いするたびに爽やかな気持ちにさせられます。年を重ねるにつれて、人の美しさをそんなところに感じることが多くなってきたように思いますが、微笑みについて、次のような示唆に富んだ言葉を読んだことがありました。

「微笑みは、お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては非常に価値を持つ。微笑まれた者を豊かにしながら、ほほ笑んだ人は何も失わない。瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる。お金があっても、微笑なしには貧しく、貧しくても、微笑のある家は豊かだ。微笑は、家庭の平和を生み出し、社会を明るく善意に満ちたものにし、二人の間に友情をはぐくむ。疲れた者には休息を与え、失望する者には光となり、いろいろな心配に思い病んでいる人には解毒剤の役割を果たす。しかも買うことができないもの、頼んでも得られないもの、借りられもしない代わりに盗まれないもの。もし、あなたが誰かに期待した微笑を得られないなら、不愉快になる代わりにあなたの方から微笑みかけてごらんなさい。実際、微笑を忘れた人ほど、それを必要としている人はいないのだから。」

確かに、微笑みのもたらす効用は計り知れないほど豊かなものであるに違いありません。この一文を読んで、私も出会わせていただく方々の幸せに、微笑みという具体的な表現を通して少しでも貢献できればと、改めて思わされました。

聖書の中には「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書7章12節)と記されています。楽しい時、嬉しい時は自然に笑みがこぼれ、緊張や不安を覚えているときは顔がこわばり、疲れや忙しさで気持ちに余裕がない時は顔が引きつる。そんな私たちの誰もが、人には微笑みを期待しているのですから、考えてみれば虫のいい話です。ですからこそ、イエス・キリストは「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」というみ言葉を通して、私たちにあるべき姿、生き方を教えていらっしゃるのではないでしょうか。

天国を天国と呼ぶのは、それが天にあるからではなく、そこに愛があるからだと言われます。愛があれば、どんな場所でも天国です。人が天国を慕うのは、そこが美しいからでも、豊かだからでも、また死や病がないからでもなく、そこに愛があるからです。

微笑みは、最も身近で具体的な愛の証であると言われています。「笑う門には福が来る」と言いますが、嬉しいから、楽しいからにっこり笑うのではなく、笑うことによって、人も自分も祝福されるということです。神さまを心の内にお迎えすることによって、どんな時も微笑みを忘れない素敵な生き方へと、歩みを深めたいものです。