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LAFORET 2015年8月

相手の幸せを思い

ユダヤの国に、次のような心あたたまる話があるのをご存知の方もいらっしゃることでしょう。

「ある所に二人の兄弟がいました。弟は既に家庭を持ち、兄は独身でした。二人、死ぬ前に父親が枕元で言い残した『私が死んでも畑を決して二つに分けないで、協力して働くように』という言葉を守って一緒に働き、はじめての収穫の時期を迎えて、穀物を仲良く半分に分けました。その夜、兄は寝床の中で『弟は家族が多いから養っていくのが大変だ。私が弟と同じ分をとるのは間違っている』と考え、夜中に自分の収穫から数束取って弟の分に加えておきました。一方、弟も又、『自分は楽しい家庭があるが、兄さんは一人ぼっちだ。年老いたら誰が養ってくれるだろう』と考えると寝付かれず、寝床から起き出して自分の収穫から数束取って兄の分に加えて家に戻りました。

翌朝二人は、自分の収穫のかさが昨日と変わっていないことを不思議に思いましたが、次の夜も再び同じことをしたのです。そして三日目の夜、束を抱えた二人は途中でばったり出会い、お互いの温かい心を知って喜び合ったのでした。」

正直で純朴なこの二人の兄弟の行為は、お互いを労り合う、心あたたまるもので、兄弟愛、隣人愛の大切さを教え諭したものです。

私たちも、このように仲良くいたわり合うことが出来ればと思いますが、いろいろな事情で兄弟関係がギクシャクすることは、残念ながら少なくないのではないでしょうか。何事においても自分を優先させることの多いのが私たちの現実の姿ではないかと思いますが、そのような傾向はますます強まっているような気がします。その結果、お互いに傷つき、関係が疎遠になることも少なからずあるのではないでしょうか。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも他人にしなさい」(マタイ7:12)という有名な聖書の言葉があります。相手の立場に立って思いやり、行動することの大切さを教えたイエス・キリストの言葉ですが、冒頭の話しの中の兄弟は、結果として前と同じ収穫を手にし、その上、互いの愛を知って一層幸せになりました。

また聖書に、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒行伝20:35)という言葉があるように、「幸せ」とは、受けようとするより、先ずは与えようとする生き方の中で、味わうことできるものなのではないかと改めて思います。競争社会において、私たちはともすれば損得勘定で物事を判断しがちですが、すすんで誰かのために「損」をすることで、本当の意味での幸いな人生を歩むことが出来ると聖書は教えているのです。この生き方を心に刻み、少しでも相手の立場に立って思いやることのできる人に近づきたいと思います。


アメリカでは小学校4年生になると教会からバプテスマクラスの案内が届くと聞いたことがあります。ちょうど幸さんがバプテスマのための聖書研究を始めたのも4年生の時でした。昨年の10月、バプテスマを受けたいという思いをご両親に話され、安息日の午後に幸さんと他に4人の児童の、東海林先生による聖書研究が始まりました。その学びは今年の3月まで続き、4月からは木曜日の放課後に、東海林先生と個人的な学びを続けてきました。

バプテスマを受けたいという気持ちになったのは、ジュニアチャーチでのバプテスマについてのプログラムだったそうです。

「水に沈むことが、罪深い私たちがイエス様の十字架といっしょに死ぬということ、そして、水から上がることが、新しい命を与えられ、よみがえられたイエス様といっしょ幸せな人生を歩むこと」というバプテスマの意味を考える時間でした。幸さん自身、自分が罪深いことを知り、その罪を償ってくださったイエス様と共に歩みたいと心から思えたことから、バプテスマを受けたいという気持ちが芽生えたのでした。ご両親としては少し早いのではというお気持ちもあり、何度か受ける気持ちを確認されたそうですが、幸さんの決心は変わらなかったということでした。

いよいよバプテスマをいつにするかという日程を検討する段階になりましたが、幸さんは友達に自分のバプテスマを見てもらいたいという気持ちであることを聞きました。自分のバプテスマを通してお友達にもバプテスマの意味を知ってもらい、決心してもらいたいという思いからだったと思います。バプテスマ受ける10日ほど前に、学校で礼拝の時間にバプテスマの意味を考え、幸さんが受けることを児童たちに発表しました。

バプテスマ当日は小学校が夏休みに入った翌日の安息日でしたが、幸さんの希望どおり、たくさんのお友達がバプテスマ式に参加してくれました。

幸さんが将来、イエス様のことを人々に伝えたいという夢を持っていることを聞き嬉しく思います。

 

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」伝道の書 12章1節(口語訳)

 

幸さんのイエス様と共に歩むこれからの人生が、祝福されたものとなり、私たちがイエス様によって救われたこと、そして天国の希望を人々に宣べ伝えてほしいと願っています。

亀甲山教会でバプテスマを受ける小学生は8年ぶりと聞きました。幸さんに続く小学生が出てくる予感も感じます。ぜひ若い魂のためにお祈りください。

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