置かれた場所で
6月を代表するアジサイの花は、間もなく迎える鬱陶しい梅雨の季節に、無くてならない彩りを添えてくれます。花色が変化することから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれ、“移り気な花”などとも言われますが、雨に打たれてひたむきに咲く姿は、見る人の心に潤いを与えてくれるものです。
ところで、アジサイの花は土壌の酸性度によって色が変わるのだそうです。土壌が酸性であれば青、アルカリ性ならば赤になると言われていますが、自然界の原則に従って色も形も決められていることに驚かされます。
さて、アジサイの花の色がその土壌によって変わるように、私たちのものの考え方や捉え方も、環境に左右される面があることは否めませんが、アジサイの花と違って、環境が人の生き方を決定するわけではありません。そこに自然界との相違と人間の可能性があるのではないかと思うのです。
渡辺和子さんの著「置かれた場所で咲きなさい」をお読みになった方もいらっしゃると思いますが、ベストセラーとなった、この本の中で次のような詩が紹介されていました。
「置かれたところで咲きなさい。咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いではなかったと、証明することなのです。」
また、不慮の事故で手足の自由を失い、口に筆をくわえて誌や絵を描いておられる星野富弘さんの詩に、
「木は自分で動き回ることが出来ない。神様から与えられたその場所で精一杯枝を張り、許された高さまで一生懸命伸びようとしている。そんな木を私は友達のように思っている」という素晴らしい詩がありますが、「ベッドの上」という置かれた場所で、自分に可能な力を出し切って許された高さまで伸びようとしている星野富弘さんの姿勢は多くの人に感動を与えています。その生き方を見ていると、投げやりになったり、ひがんだり、諦めたりしてはならないのだと思わされます。
聖書には、「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピの信徒への手紙4章13節)と記されています。自分の力で頑張るのではなく、「わたしを強めて下さる」神さまの力によって精一杯枝を張り、置かれたそれぞれの場所で、その人にしか咲かせることのできない花を、美しく咲かせることが可能となると約束されています。
それぞれ置かれた場所や立場は違いますが、そこが神様から与えられた場所であると受け止めることによって、私たちの人生観が大きく変えられ、肯定的に前向きに生きていくことができれば、どんなに幸いかと思います。
青年会
青年会では今年、”バプテスマを青年から“を目標として、祈り、活動している。青年会で行うすべてのプログラムはこの目標を出発点にして、それではどのように周りの青年にアプローチ出来るのかを考えながら組み立てている。
今回ご紹介するジムナイトは、もともと「土曜の夜の時間なら参加出来る」という人と一緒に礼拝したい、親睦の機会を持ちたいという思いから始まった。日ごろ教会に出席出来ない人をはじめ、他の教会に出席している人や教会にあまり来たことのない人とも関わるきっかけとなれば嬉しい。
ジムナイトのプログラム内容は主に食事・夕礼拝・スポーツなどである。そして、それぞれ方法や度合いは異なるが、いずれも相互の交わりを深めるのに役立っている。食事の最中は、たわいのない話で盛り上がり、また夕礼拝では、個人の証を通して神様がその人をどのように導いてこられたかを知り、互いのために祈り合うことができる。メインイベントとしていつもやっているバレーボールは声を掛け合いハイタッチなどしながら気軽にできるので、コミュニケーションをとりやすいスポーツだと思う。
エフェソの信徒への手紙4:32
「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」
個人的な見解ではあるが、人間関係を築いてゆくということは、小さな赦し合いの繰り返しではないだろうか。そうであるならばジムナイトは良い赦し合いの場である。様々な状況の中に置かれている若者が集まって、お互いを受け入れ合うときにそこには赦し合いが生まれているのではないだろうか。
ジムナイトをはじめ、青年会の活動を通してこの赦し合いの輪がますます広がっていくことを願っている。
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