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LAFORET 2014年11月

最後の一葉

毎年11月になると思い起こす短編があります。多くの人に親しまれている、オー・ヘンリーの「最後の一葉」という作品ですが、世知辛い世の中で心がカサカサしがちな私達に、暖かな感動と示唆を与えてくれるものです。

 時代は、今から百年ほど前。ニュ-ヨ-クのグリニッジ.ビレッジには絵描きを志望する芸術家達が多く住み着いていて、この物語りの主人公、ジョンジ-とス-も、共同のアトリエを持っていました。

 さて、この頃は毎年11月頃になると悪性の肺炎が流行し、可哀想に若いジョンジ-もその犠牲になったのです。彼女を診察した医者は、友人のスウを呼び出し、「助かる見込みは十に一つだろう。そして本人が生きたいと思わなければどうにもならないのだよ」と言い残して帰っていきました。

 スウは悲嘆にくれますが、ジョンジ-の前では努めて明るく振る舞い、彼女を励まそうとします。しかし、ジョンジ-は次第に生きる意欲を失くしていき、ベッドの窓越しに見える、隣の家の壁につたっている蔦の葉が風に吹かれて散っていくのを見ながら、「あの最後の葉が落ちたら自分も死ぬのだ」と繰り返しつぶやくのでした。

 スウはこのことを、同じアパ-トの住人で、うだつのあがらない、飲んだくれの絵描き、ベアマン老人に話して嘆息をつきますが、老人はまともに取り合ってはくれません。

 その夜、雪混じりの冷たい風が吹きつけ、隣の家の蔦の葉は、ついにあと一枚になっていました。そして次の日の朝、眠りから覚めたジョンジ-は、当然無くなっていると思った最後の蔦の葉が、まだ残っているのを見て不思議に思いましたが、次の日も、その次の日もしっかりと枝にくっついている一枚の葉を見ながら、次第に元気を取り戻していったのでした

 そして二人は知るのです。あの嵐の晩、ベアマン老人が、冷たい雨に打たれながら、一晩中蔦の葉を描いたために、肺炎で亡くなったことを。

 さてこの話は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15;13)という聖書の言葉を思い起こさせるものです。絵の才能が花開くことなく、人に認められないままに無意味な毎日を送っていたベアマン老人でしたが、最後の力を振り絞って書き上げた絵は、「これ以上に大きな愛はない」と言われるほどに価値のあるものとなりました。

誰からも惜しまれることはなかったかも知れませんが、人の幸せの為に命を犠牲にした老人の死は、きっと若いジョンジーとスウの心にいつまでも残ったに違いありません。

私たち誰もが、気落ちしたり行き詰まったりすることがあるものですが、そんな時に心に掛けて支えてくれる人の言葉や行為は、温かい灯となって心に刻まれていくものです。寒さが身に染みる季節を迎えますが、お互いを思いやることによって、温かな季節としていきたいものです。

亀甲山教会主任牧師 東海林正樹

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