Home » LAFORET » LAFORET 2014年12月

LAFORET 2014年12月

靴屋のマルチン

ロシアの文豪トルストイの作品に、「靴屋のマルチン」で知られている「愛のあるところには神がある」という作品があります。

奥さんにも子供にも先立たれ、生きる希望を見失ってふさぎ込んでいたマルチンのところに、ある日、巡礼をしていた同郷の老人が訪ねてきます。そして、何のために生きるのか分からなくなったとこぼすマルチンに、聖書を読むように勧めました。

早速聖書を買って読んでいくうちに、心が洗われたような気持ちになったマルチンは、毎晩読んでは神さまのことに思いを巡らすようになりました。そしてある晩、夢の中で「明日、お前の所に行くからね」という神さまの声を聞いたのです。

 次の日、マルチンは夢のことが気になって、朝から窓の外ばかり眺めていました。その内に、雪かきをしているお爺さんがフラフラと倒れそうになっているのが目に入ったので、家の中に招き入れて温かい飲み物を飲ませてあげました。しばらくすると、今度は、赤ちゃんを抱いて寒さに震えて立っている女の人が目に留まります。急いで家に入れて温かい食べ物と外套をあげると、女の人は涙を流して喜び、身の上話をして帰って行きました。

 そんな風にして一日を過ごしたマルチンは、「今日はみんなに優しくできて良かった。でも、神さまはとうとうおいでにならなかったなあ」と言いながら横になりました。その夜、彼はまた夢を見ます。はじめに雪の中で倒れそうになっていたお爺さんが現れて、「マルチン、あれは私だったんだよ」と言いました。次に赤ん坊を抱いた女の人が現れて「あれは私ですよ」と言うのです。マルチンは目を覚まして「そうか、あれはみんな神さまだったのか」と嬉しそうにつぶやいた、というお話です。

この作品は、トルストイの民話集「人は何で生きるか」の中の一つですが、どの作品も単純素朴ですがすがしく、生きることの意味を分かり易く説いた名作です。何のために生きるのかと問うマルチンに、老人は「私たちの命は神さまから授かったのだから、神さまのために生きなくてはならんのだよ」と教え諭すのですが、それはつまり人を思いやることなのだと、この話は教えているのです。聖書には、「現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない」(ヨハネ第一420節)と記されていますが、神さまの愛を知ったマルチンは、人を愛するものへと変えられ、結果として神さまをもてなしていたのでした。

 間もなくクリスマスです。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝うものですが、イエスは私たちの心を新しく生まれ変わらせてくださるために誕生されました。マルチンが悲しみから立ち直り、生まれ変わったように、私たちも、少しでも周りの方々の必要を感じ取ることが出来る人へと作り変えていただき、誰かのために自分の時間や心を捧げることができればと思います。今年はそんなクリスマスでありたいものです。

亀甲山教会主任牧師 東海林正樹

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*