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Laforet 1月号

「今年は戌年」

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新しい年を迎え、皆さんも新たな気持ちでいらっしゃると思います。神様の守りが豊かにありますようお祈りいたします。

2018年。今年の干支はイヌです。犬は人間の友人として古い歴史を持っている動物です。我が家にも以前ゴールデンレトリバーがいました。一緒に楽しい時を過ごし、心を和ませてくれましたし、教会でも皆さんに可愛がられました。近所にもよい証をしてくれました。私よりよい神様の働きをしていました。しかし、聖書はこの犬に対してあまりよいイメージを持っていないようです。

マタイによる福音書7章6節で「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。」と書かれています。ここで犬は有名なことわざ「豚に真珠」と同じ意味で使われています。聖なるもの(これは聖書のことですが)を犬のような人に示しても読んで悟ることができない、という意味で使われました。

このような扱いは聖書だけではありません。日本でも「犬」や「豚」は良い意味で使われることはなく、たいていの場合は相手を見下している時に使う言葉です。「犬の遠吠え」もよい意味ではないですし、「~の犬」というとスパイ、回し者です。

そこで「犬とは、豚とはあの人のことだ」と、他の人を思い浮かべることがあるかもしれません。そのように他の人を見て裁く時、その心がまさに犬や豚のような状態なのです。実はこの言葉は、他人を裁くための言葉ではなく、自分をかえりみるための言葉になるのです。

新約聖書マタイによる福音書15章に自分のことを犬だと言い表した女が出てきます。彼女は最初イエスに近づく時、神の民と同じ立場で「主よ。ダビデの子よ。」と呼びかけました。イエスはその時お答えになりませんでした。しかしすぐ彼女は「ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と言い、自分を小犬だと言い直したのです。自らの立場を理解し謙遜になり、その上でイエスの憐れみを求めたのです。これこそ神様を求める方法なのです。この女はイエスから信仰をほめられた一人として聖書に記録されるのです。

戌年の方にはいやな話だったかもしれません。でも安心してください。戌年のイヌは難しい漢字の「戌」です。この漢字は本来方角や時刻を表すものですが、実は犬の中でも賢い犬を意味しているとか。

戌年の人はもちろんのこと、全ての人が今年1年、聖なるもの、聖書に触れて、その素晴らしさを理解していただきたいと思います。