「主を仰ぎ見る人は」 亀甲山教会牧師 平賀和弘
「主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。」(詩編34章6−8節)
ダビデは、「どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」(詩編34編2節)と告白しています。それは、どのようなときも神様がおられ、守り助けてくださると信じていたからです。
詩編34編は、「ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに」(詩編34編1節)つくられました。ダビデの名声が広がると、サウル王はダビデをねたみ、彼の命を奪おうとしました。そのため、ダビデは国外に脱出し、ペリシテ人の街ガテに逃れます。しかし、そこでもダビデの名声は知られており、彼はイスラエルのスパイではないかと疑われました。ダビデは逃亡先でも命を狙われることになりました。そこで、ダビデはアキシュ王の前で気がおかしくなったように装い、その結果、命を奪われることはありませんでしたが、追放されることになったのです。
命をねらわれ、どこに行っても逃げ場がない。そんな追い詰められた状態の中で、ダビデは神様を賛美しました。ダビデは、悩みや心配に目を留めるのではなく、伏せていた顔をあげて、主を仰ぎ見ます。この時、ダビデの顔は、神様の光を映して光と輝きます。力に満たされたようです。
ダビデが、気がおかしくなったように装ったのは、神様に頼らず、自分の力に頼った、彼の不信仰をあらわしているのかもしれません。しかし、辱めに顔を伏せることはありません。世の光であるイエス様が、十字架につき、辱めに顔を伏せる人を、光の子としてくださったからです。
さらにダビデは、不確かな将来に目を留めるのではなく、これまで神様が祈りを聞き、苦難から常に救ってくださったことを思い起こします。そして、目には見えなくても、主のみ使いが陣を敷き、これまでのようにこれからも、守り助けてくださることを信じ、主を賛美するのです。
新しい1年が始まりました。この年もさまざまなことが起こるでしょう。しかし、神様がおられ、守り助けてくださると信じ、私たちも、主を賛美してまいりましょう。