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La foret 11月号

「わたしは戸口に立って、たたいている」     亀甲山教会牧師 平賀和弘

 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」 (ヨハネの黙示録3章20節)

 ヨハネの黙示録には、七つの教会にあてた手紙が記されています。その中の一つがラオディキアの教会です。この教会は、他の教会と違って、何一つ褒められた点が挙げられていません。叱責の言葉だけが記されています。彼らは、すべてを捨てて不信仰になることも、自己に死んで信仰の原則に忠実に従うこともしない、中途半端な状態にありました。
 しかし、希望があります。叱責するのは、主がその教会を愛するがゆえであり、必要なものはすべて主から与えられることが約束されているからです。主はラオディキアの教会をご自身の豊かな恵みで満たそうと待っておられます。そのために、戸口に立って、その戸をたたいておられるのです(黙示録3章20節)。イエス様は、無理矢理に入られることはありません。人の心は、内側から、他の誰でもない自分から開けるしかないのです。また、イエス様は、人の意志を尊重されるお方です。人はイエス様の招きの声を聞いたなら、それに応じることもできるし、拒むこともできるのです。
 私たちは、戸口で待っておられるイエス様にどう応えているでしょうか。もしかしたら、「わたしには必要ありません。」と、拒んでいないでしょうか。あるいは、「いつかはお迎えするつもりですが、今は忙しいのです。」と戸を開けることを先延ばしにしていないでしょうか。今、イエス様が戸をたたいて待っておられるのですから、今、心の扉を開けて、「どうぞお入りください。」と、主をお迎えできれば、それはどんなに幸いなことでしょうか。主を拒み、主をお迎えすることを先延ばしにするのは安全ではありません。
 イエス様は、ご自身を迎える者と共に食事をしてくださいます。食事を共にするということは昔も今も、親しい交わりのしるしです。イエス様は、ご自身との親しい交わりを、褒められる点のないラオディキアの人々に、約束されているのです。なんという恵みでしょうか。また、その交わりの席は、勝利の座(黙示録3章21節)でもあります。真の必要は、イエス様との交わりです。そして、御心にかなった人生は、イエス様との交わりによって与えられるのです。主の招きに感謝して、今日、主をお迎えしたいと思います。