「あなたがたにぜひ会いたい」 亀甲山教会牧師 平賀和弘
「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」
(ローマの信徒への手紙 1章11-12節)
パウロは、ローマ教会の信徒たちに「ぜひ会いたい」(同1:11)と、彼らに会うことを切望しました。イエス様を知るということは、神秘主義者のように宗教的に孤独になることではありません。むしろ、イエス様を知れば知るほど、交わりへと促されます。パウロはもちろん、神様との交わりを切望していました。イエス様の再臨を待ち望んでいました。しかし、それだけではありませんでした。はるか海の向こうのまだ会ったことのないローマの教会の人々との交わりを切望していたのです。縦方向の神様との交わりだけでなく、横方向の人との交わりも望んでいました。
なぜ、パウロは、ローマ教会の信徒たちに会うことを望んだのでしょうか。聖書は、「“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」(ローマ1:11)と語ります。パウロは、ローマの教会の人々の力になることを望んでいました。パウロは、人々がイエス様を信じてクリスチャンになったらそれで終わりというわけではなく、引き続き励まし続けました。そのために、自分自身が訪れることもあれば、行くことができない場合は、代わりの人が遣わされることや、手紙が送られることがありました。そして、人々を力づけるためになされたことは、”霊”の賜物を分け与えることでした。イエス様を語ることです。そうすることによって、真夏にしおれていた植物が水を与えられて生きかえるように、教会が生き生きとなる、あるいは、すでに生き生きとしている状態から、もっと生き生きとなることを願っていたのです。
また、パウロは、自身が与えるだけでなく、ローマの教会の人々から、分け与えてもらうことも願っていました。聖書は、「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」(ローマ1:12)と語ります。パウロは、お互いに神様の祝福を分かち合うことによって、励まし合うことを願っていました。だから、行きたい。会いたかった。そして、その交わりは、私たちが切に願うものでもあります。