「10年経って」 亀甲山キリスト教会牧師 伊藤裕史
3月11日、あの東日本大震災が起こった日から10年たちました。地震と津波、原子力発電所の事故。この震災によって本当に多くの方の命が失われ、多くの方の生活が変わりました。いまだに震災後の変化の中苦しんでおられる方もいらっしゃいます。
皆さんは、あの日を思い出すことはありますか。あの日、私は東京の教会にいました。地震が起きた時、教会の子供たちと聖書研究をしていたのです。子供たちも小さな揺れに気づき、そんな時にどうするの、と子供たちに聞いたら机の下に隠れる。じゃあそうしよう。ぐらぐら。幸いその教会は頑丈な建物でしたので、本棚から本が落ちてくることで収まりましたが、その後、隣にある病院から人々が出てくるのを見た時に、何か大変なことが起きたかもしれない、そう思ったのを覚えています。子供たちを保護者に引き渡し、帰ろうとすると、すでに交通機関は止まっていました。その日は周りの人といっしょに帰宅難民になり、夜は暗く、町から様々なものが消えていきました。その後被災地域への異動が命じられました。それから被災地の余震に揺れる中での生活。揺れるとどの方角でどのくらいの大きさの地震か分かるまでになりました。
あれから10年。皆さんは思い出すことはありますか。私がこの時のことを思い出すのは、地震の時と3月11日という日を迎えた時だけ。あの出来事は確かに私の人生にとって大きな出来事でした。それにもかかわらず、私たちは社会の急激な変化に巻き込まれ、多くの人を取り残しながら、今ではそれがなかったかのように生活をしています。
それだけではありません。この10年、様々な災害が起こりました。今もまた新型コロナの感染に直面し、私たちはそれに振り回されています。世界が変わっているのです。
本当ならば昨年の東京オリンピックを復興五輪と名付け、震災からの復興を全世界にアピールするはずでした。しかしその声が小さくなり、いつの間にかコロナ収束や男女平等をアピールするものに、という声に変わっていきました。
だからこそ、私たちはこの日を思い続ける日として忘れてはいけないのだと思います。忘れないだけでなく、いまだ苦しみの中にいらっしゃる方々のために神様の守りをお祈りしていきましょう。