「相続問題」 亀甲山教会牧師 伊藤裕史
イスラエルの人たちは出エジプトの後、荒野を40年間放浪します。そこでやっと約束の地カナンへ入ることができました。しかし、カナンへは平和的には入れたのではありませんでした。そこに住んでいた強い部族に戦いによって勝たなくてはいけなかったのです。弱い民であったイスラエルが、この戦いに勝つ経験が実は神様にゆだねてついて行くために必要な学びであったのでしょう。彼らはその戦いに勝ち、カナンの地に住むことになりました。
イスラエルの民は神様が約束されたカナンの地をすべて占領した後で、それぞれの部族に相続地を与える土地の分配を始めます。これは神様がアブラハムに言われた「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12:7)という約束によるものでした。この約束は、アブラハムの時から500年経って実現されました。聖書では、これを「相続地」と言っています。
さて、相続は今でも大きな問題です。財産の大小にかかわらず、相続をめぐってこれまで仲の良い家族がバラバラになるということが起こります。ワイドショーでも、有名人の遺産をめぐる問題について、面白おかしく取り上げます。自分とは関係ないのに、どうしても興味本位で見てしまうのです。
では、神の民であるイスラエルの人々が約束の地であるカナンを占領したとき、どのようにして、その土地を分けたのでしょうか。誰もが良い土地が欲しいと思ったはずです。争いは起きなかったのでしょうか。
イスラエルの人々は、神様のいる会見の幕屋の前で、人数に応じてくじを引き、それぞれ割当てられたところを相続地として受けました。くじが神様のみ心であると考えていたからです。でも、その部族の状況を考慮に入れたうえで、誰もが納得するように平等に分けようとしたのです。でも、1部族だけ割り当て地のない部族がありました。レビ族です。彼らは土地ではなく、神様への奉仕を相続しました。
こう考えると、相続で引き継ぐものは単に目に見える財産だけでないことが分かります。私はすでに、父と母を亡くしていますが、相続したものは財産だけでなく、他に多くのものを受け継いだことに気が付きます。人と人とのつながり、考え方、生き方などです。そのことに気が付いた時、目に見える財産を受け継ぐために、相続すべき大切な人と人とのつながりを切ってしまうことは、本当の意味で全てを相続していないことに気が付くのです。
相続は目に見える財産だけでない、そのことを知ることが解けることのない相続問題解決の一歩なのかもしれません。