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メッセージ2020年5月6日

今は祈る時 ヨハネ2:13-22

皆さん、おはようございます。横浜三育小学校チャプレン、伊藤裕史です。
それでは礼拝を始めましょう。
お祈りをいたします。

皆さん、もう5月、そして連休最後の日になりました。早いですね。
皆さんは元気に過ごしていますか。
今日も聖書のみ言葉から光を頂きたいと思います。
ところで、皆さんはイエス様をどのような方だと思っていますか。
身長は、体重は、髪の色は、目の色は、ごっついか、やさしいか。声は高い声、低い声。想像してみるととても楽しいです。聖書には、イエス様の姿などは全然書かれていません。だから、先生はイエス様に会う時をとても楽しみにしています。聖書には、イエス様は再びやってくる、そう約束されています。その時、一番楽しみなことは、私を愛して下さったイエス様は、私のために十字架にかかって下さったイエス様はどんな方か、目で見ることができるということ。ぜひ、皆さんも想像して見て下さい。絶対みんな違うイエス様の姿を思い浮かべていると思います。
でも、みんなが共通して想像しているのはイエス様は「やさしい」ということではないでしょうか。
でも、そのイエス様が怒っているような記録が福音書に残されています。
ヨハネ福音書2章13節から読んでみましょう。

◆神殿から商人を追い出す
2:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
2:14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
2:15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
2:16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
               
イエス様が、エルサレムの神殿を訪ねたときのお話です。
そこでは建物の奥まで、捧げものの動物を売る人やお金を両替する人がいて、とても騒がしかったのでしょう。神殿とは、今の教会のようなところです。人々が神様に会うために、お祈りをするために集まってくるところです。そこで、何が行われていたか。神様にささげる動物の売り買い、お金のやり取り、そんなことが行われていたのです。
それが必要ないことではありませんでした。遠くから神殿に来る人達が、捧げものの羊などを連れてくるのは大変なことです。神殿のあるエルサレムで手に入れることができればどんなに便利なことか。お金もそうです。神殿では特別なお金が使われていました。神様にお捧げするためには、そのお金を手に入れる必要があったのです。でもそのことを、神殿の中で、それも大声を出しながらやっていたら、静かにお祈りすることもできなくなる。いやできなくなっていたのです。だから、イエス様は、静かな祈りのための場所を作るために、彼らを追いだされたのです。そして「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われたのです。でも、いつも穏やかな、優しいイエス様が、怒っておられるように感じるこの場面は、感情的になって、ただ怒りを爆発させていたわけではないのです。
皆さんは、今家でお祈りすることはありますか。学校では、いろいろな時にお祈りをしています。先生の聖書の授業の最初にもお祈りをしています。神さまに祈ることで、私たちは、神さまがすぐそばにいて支えてくださることを感じ、平和な心を保つことがでます。しかし、その時に、心を集中させることのできないものがあったらどうでしょうか。お祈りは形だけのものになり、本当に神様へのお祈りではなくなります。家でお祈りをする時に、そばでテレビの音が大きかったらどうでしょうか。途中で、急に電話がなったらどうでしょうか。お祈りを最後まですることはできますか。それだけでなく、皆さんが口でお祈りをしていても、心の中で神様にお祈りしていることとは違うことを考えていたり、誰かを怒っていたり、心の中が不安や恐れで心がいっぱいだったらどうでしょうか。お祈りできますか。
イエス様の時代、神殿へは遠くから人々がやってきていました。車なんかなかった時代です。本当に大きな悩みや苦しみをもって、遠くから長い時間かけて、神様にお祈りをしたくて、みんなやってきていたのです。そんな時、商売の話、駆け引き、お金の音なんかで騒がしく、心がかき乱されたりするとき、心の平和はどこかへ行ってしまうでしょう。せっかくお祈りをしに来たのに。イエス様は神殿がそのような様子であることを嘆かれたのです。

神さまに祈るための場所としてわざわざ造られている神殿まで、神さまを無視した場所になってしまっているというのは、とても悲しいことです。このことは、神様を大切にしないだけでなく、神様が大切に考えておられたことも大切にしないことにつながっていくのです。神様が大切に、愛されている人も、大切にされなくなっていく。そうすると、人々が傷つけあってしまう。そんな風に変わってしまうのです。

だからイエス様は、祈る場所や時を大切にするように言われるのです。それは、当時の人々が心の平和を見失っているから、神様を大切にできなくなり、お祈りを大切にできなくなっているからなのです。お祈りを大切にできるなら、 自分の心のうちに、神さまに守られている安心感が生まれ、もっともっとお互いにもっと優しくなれるはずです。

イエス様はどうされていたでしょうか。
マルコによる福音書1:35にそのことが書かれています。
1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

まだ人々が起き出すより早い時間、静かな朝早く、そして、人に会うことがないような、わざわざ家から離れた場所に行って、お祈りをしておられたのです。本当に静かな時と場所の中で、神様との祈りの時間を楽しまれたのです。
私たちが、そのような場所や時間を持つことは、今はできないのかもしれません。でも、皆さんが食事をする前にお祈りをする、勉強の前にお祈りをする。そんなちょっとした時に、心を静めてお祈りすることができれば、その祈りはもっと素晴らしい時間となるはずです。
今は、家で過ごさなくてはいけない、そんな時です。一日の中で、心を静めて、5分でも10分でも、手を組み、目を閉じて、神様のことを思う時間をとって見て下さい。聖書を読む時間をとってください。必ず心に安心感や喜びを感じることができるはずです。それでなくても、私たちは、小さなことで心が乱され、怒ったり、焦ったり、パニックになったりします。そういう時にこそ、深呼吸をして、落ち着きと優しさを持った平和な心をくださいと神さまに祈ってください。神様はその祈りにきっと答えて下さるはずです。

学校では、いろいろな機会に祈るときを持つことができますが、家にいると意識しないと祈ることを忘れてしまうでしょう。今日、祈りの時間をもって、ぜひいろいろなことを、神様に話してみてほしいと思います。こんな祈りが聞かれた、祈ったら心が落ち着いたよ、そんなことを、また学校で会う時にお話してください。
ではお祈りをして、礼拝を閉じましょう。