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メッセージ2020年5月13日

一番大事なものを守る マタイ福音書12:9~14

皆さんおはようございます。横浜三育小学校チャプレンの伊藤裕史です。
まだまだ学校に来ることができない日が続いていますが、元気に過ごしていますか。
なんで、こんな日が続くのだろう、そう思いながら過ごしていませんか。
今日は、そんなことを思いながら過ごしている皆さんへのメッセージです。

今日の聖書の箇所はマタイによる福音書12章9節から14節までです。お読みします。
◆手の萎えた人をいやす
12:9 イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。
12:10 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
12:11 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。
12:12 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
12:13 そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。
12:14 ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。

手の萎えた人、普段使わない言葉です。簡単に言うと、手が不自由な人。病気やけがで、思い通りに使えなくなってしまった人のことです。そんな人を見たら、イエス様だったらどうするでしょうか。優しいイエス様だったら治してあげたいと思われたと思います。
そんな優しいイエス様の姿をよく思わない人達がいました。イエス様が優しければ優しいほど、自分たちの人気がなくなり、評判が悪くなると思っていた人たちです。
そこで、イエス様を困らせるために、イエス様を悪者にしようとしたのです。どうしたか。
実はイエスさまの時代には、週に一度、安息日、今で言う土曜日には働いてはならないという律法、掟、決まり事がありました。 安息日は神様と過ごす特別な日として、神様が決められていたからです。だから今でも教会は土曜日に礼拝を行って、神様と一緒に過ごす日を大切にしているのです。そのために、土曜日には働いてはいけない、これを決まり事としているのです。

さて皆さんは、決まり事を守りますか。決まり事、自分で決めたものもあるでしょうし、家族で決めたことをあるでしょう。朝はきちんと起きる、お手伝いする、ゲームは決められた時間だけ、そんな決まりごとはないですか。
外に出れば、信号が赤の時は止まれ、渡ってはいけない、という交通ルールという決まり事もありますし、盗んではいけない、万引きもしてはいけない、という決まりごとがあります。
守っていますか。守っているよ、いや、時々守れていないよ。皆さんはどうでしょうか。

イエス様はどうだったでしょうか。
実は、イエスさまは、ある決まり事、ルールをたびたび破っていたと人々に思われることをしていました。
だから、当時の決まり事を守ることを大切に考えていた人たちは、決まり事を守らないイエス様が、人気が出ることに我慢ができずに、イエス様を殺そうと考え始めたのです。実はこの決まり事を守ることを大切に考えていた人たちが、さっき言った自分たちの評判を気にしていた人達だったのです。

でも本当にイエス様は決まり事を守らなかったの?ちょっと驚きますよね。
ではイエス様は決まり事を守らずに、何をしていたのでしょうか。
先程お読みした聖書の箇所では、決まり事は、安息日には働いてはいけないというものでした。守らなかった、つまり働いたと思われることをしたのです。
何をしたか。手の萎えた人、そう手の不自由な人を 癒されたのです。
決まり事、ルールを破っていると思われたこと、手が不自由で困っている、生活するにも困っている人の手を癒して下さった、自由に、困らないように手を治したのです。
どう思いますか。
イエス様はなんでそうされたのか。皆さん考えてみましょう。
イエス様はなぜ人々から反対されるようなことをしたのでしょうか。
イエスさまの行動には、心にとても大きな思いがあったのです。
それは、人を愛する、大事にする、ということでした。
何故でしょうか。
そもそも、ルールや作法は、人がお互いに嫌な思い、悲しい思い、苦しい思いをしなくてもいいように 作られたものです。つまり、相手を大事にするからこそ生まれてきたのです。
早寝、早起き、ゲームは決められた時間に、これは皆さんの健康のため。大人になって困らないためです。
だから、そのルールをまだ知らない人に、ルール通りに行動できなかった からといって責めることはできません。赤ちゃんに朝6時に起きなさいとか、8時になったら寝なさいとも言わないでしょう。相手を大切に考えれば、別のことで相手を守ることを考えなくてはいけないのです。
でも私たちは、知らず知らずのうちに、ルールによってお互いを守るのではなく、 ルールを守らない人を責めて、仲間外れにしたり、その人の行動を監視するようになってしまうことがあるのです。
だから心の中に、一人ひとりを大切にするやさしさが育っていない限り、どんなに立派なルールができても、それは人を互いに縛る道具にしかならないのです。
今、ステイホーム、家の中にいましょう、ということが言われています。病気が広がってきたことによる決まり事です。守る人もいれば、守っていないのではないかという人もいます。
責めたりする前に、そもそもこれは何のためなのでしょうか。それが分からないと、私は遊びたいから外に出る、好きなことをする、ということにもなります。
あるいは、自分は我慢して外に出ていないけれども、外に出ている人を、なんであの人たちは出ているのか、指をさしたり、非難したり、悪く言うことになります。
決まりごとは、人がお互いに嫌な思い、悲しい思い、苦しい思いをしなくてもいいように 作られたもの。つまり、相手を大事にするからこそ生まれてきたのです。
ステイホームは、病気にならないために、亡くなる人が出ないために、悲しい人が増えないためにしているのです。皆さんの大切な学校に行くことができないのは、もっと大切なものを守るためなのです。
守らないことにより、病気の人を増やすこと、悲しい思いをする人を増やすことにつながることがわかれば、決まりごとは、みんな守ることができるようになりませんか。

イエスさまは安息日の掟を破っていると思って非難する人たちに向かっておっしゃいました。
「自分の飼っている大切な羊が穴に落ちても、休みの日だから助けないという人はいるか?」
別の所では、「愛するわが子が井戸に落ちても助けないか?」ともおっしゃっています。
皆さんだったらどうしますか。
イエス様は決して、決まり事、ルールを無視していいとは思っていられません。ルールがある本当の意味を行おうとされていたのです。本当に愛する人を愛する、大切にするということを考えておられたのです。

そして、このお話では、決まりごとを守ることを、人のミスを責めるための道具にしないことこそが大事だということを教えて下さっています。

皆さんの周りにあるルールは何のためにあるのでしょうか。もし、大切な人を守るものだったら、本当にそうなのか確認してみましょう。
そして、ルールと守ることでも、愛する人を大事にしていきましょう。

それではお祈りをして終わりましょう。