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メッセージ2018年9月1日

さあ受け継ぎなさい マタイ25:34

 

最初に聖書をお読みいたします。

マタイによる福音書

25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

 

主の御名を讃美いたします。

夏休みも終わりいよいよ2学期が始まりました。

最近、小学生の夏休みを見ていて、自分たちが子供だったころと比べて、(もうこんなことを言うということは、おじさんの証拠ですが)どうだったか、ということをよく考えます。

そしてあの頃は、と懐かしむのです。

大人の皆さんが、あの頃は、を考えるのに、時代に名前をつけて呼ぶことがあります。

社会ではそれぞれの世代に名前を付けたがります。その世代を言い表して、特徴を整理するのです。広い世代を表しているので、あたっている場合と、そうでない場合があります。

学校にいたのでよく言われていたのが、ゆとり教育の影響を受けている人たちを、ゆとり世代と呼ぶことがあります。

今は少しづつ変わっているので、脱ゆとり世代と言われるようになるかもしれません。

ゆとり教育とは、詰め込み式の教育、私たちの世代にはよくあったことですが、詰め込み式の勉強への反省から、週休2日制にして、学習する量を制限している教育を受けているからでした。

では私たちは何と呼ばれていたか。私の時代は、最初、新人類(1961-1970)と呼ばれていました。「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と言われ、何を考えているか分からないからでしょうか。

例えば芸能界では、現在AKB48を率いている秋元康とか、とんねるず石橋貴明、歌手の松田聖子小泉今日子、スポーツ界では工藤公康、清原和博などです。

その後、景気がよくなって、大人になってからはバブル世代と呼ばれるようになりました。振り返るとそのように呼ばれる理由を持っています。

実はそれまでの大人の皆さんにも実はいろいろな名前が付けられていました。

焼け跡世代、戦後世代、団塊の世代とか、しらけ世代、全共闘世代、団塊ジュニアとかいろいろな名前が付けられていきました。

 

今の子供たちは「ゆとり世代」とか、先ほどいったように脱ゆとり世代とも言われていくのかもしれません。

しかし、私たちと同じように、これから社会に出ていくころには、おそらく、それまでの「ゆとり」に関連する言葉から分かれて新しい名前で呼ばれるようになるでしょう。

教育ではなく、皆さんの生き方に影響を与えているであろう出来事があったからです。

何故か。それは多くの皆さんが、あの3.11を経験して新しく歩み始めた世代になるからです。

最近聖書研究の集会でこの3・11についての話が出てきました。

私は3・11の時にある教会で牧師をしていました。そして、被災地の教会、中学校に、あの大震災の混乱の中、まだ大きな地震が残っている中揺れているときに、放射能の危険が言われていた時に行きました。

そこはまさに被災地でした。中学校は春休み中、始業式も、入学式もまだ行われず、混乱してはいました。

新入生は、入学をあきらめて地元の学校、あるいは被災地でない学校へ行くこともできたでしょう。でも子供たちはやってきました。

 

皆さんはあの時のことを覚えていますか。

最近忘れていませんか。あの時日本はそれまでとは変わった雰囲気を持っていました。

中学校の中では3年生は本当に良く動いてくれました。1年生を不安がらせないようにということで、寮や生徒会などでいろいろと考えて、面倒を見ていました。

あの時の3年生は本当に力強く、まだ北浦を知らなかった新任の私にまでいろいろなことを教えてくれました。自分も大変だと思う時期なのに、それを気づかせずにやっている3年生はすごいと思いました。

 

ただ、あの頃、3年生に限らず、日本中多くの人が同じようなことを行っていました。

あの頃、3.11の後、日本中が優しくなっていました。協力してやっていこうという雰囲気になっていました。

覚えていますか。

テレビでは、商業的なCM、コマーシャルが流せなくなって、そういう雰囲気でなくて、ACジャパン(公共広告機構)のCMがずっと流されていました。

覚えていらっしゃいますか。最近忘れていませんか。

代表的なのは

・ぽぽぽーんのCMです。こんにちワン、ありがとウサギ、こんばんワニ、さようなライオン、魔法のことばで楽しい仲間がぽぽぽーん、のCMです。

 

・今わたしにできること 使っていないコンセントは抜いておこう、無駄なメールや通話は控えよう、災害時の連絡方法を決めておこう、必要がないのに買うのはやめよう、被災地の気持ちになって考えてみよう、みんなでやれば大きな力に。この言葉を呼びかけるCMがずっと流されていました。

・外国に行っているサッカー選手の応援CMも流されていました。

・日本の力、信じている、俳優やミュージシャンの方が応援していました。

みんなが優しくなれる。

 

覚えていますか。忘れていませんか。

様々な応援をして、日本が1つとなってこの困難な時期を乗り越えようとしていたのです。

 

今回、私が祈りながら思い出したのは、ACのCMで「行為の意味」という詩を映像にして流したものでした。改めて紹介しましょう。作者宮澤章二さんは、ずっと、30年間中学生のために詩を書き続けました。他にも様々なものを書いておられます。よく知られているのは、クリスマスソング「ジングルベル」です。

 

行為の意味

—–あなたの<こころ>はどんな形ですか

と ひとに聞かれても答えようがない

自分にも他人にも<こころ>は見えない

けれど ほんとうに見えないのであろうか

 

確かに<こころ>はだれにも見えない

けれど<こころづかい>は見えるのだ

それは 人に対する積極的な行為だから

 

同じように胸の中の<思い>は見えない

けれど<思いやり>はだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為だから

 

あたたかい心が あたたかい行為になり

やさしい思いが やさしい行為になるとき

<><思い>も 初めて美しく生きる

—–それは 人が人として生きることだ

 

この詩を聞いて、そうだなあ、と感心したのを覚えています。皆さんはどう思いますか。

「あなたの心はどんな形ですか。」

 

このCMが流されている時、多くの場所で、心が形となって現されていたように思います。それから、7年経ちました。

この詩は、メッセージはもう意味を成なさなくなったのでしょうか。

 

聖書に興味深いたとえがあります。

先ほどお読みした聖書の箇所です。

 

マタイ

25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、

25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。

25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。

25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

 

この聖句の背景は、31節終わりの時、イエス様が再臨する時です。その時、羊飼いが、全ての国の民を集めて、右と左に分けるのです。そして羊と言われている人たち、右側にいる人たちに言った言葉がこの言葉です。

神様が、右側に集められた人たちに言った祝福の言葉が34節「『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」

そして、その理由が35、36節「25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、

25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』」

その人たちの心が形となった時、その形になったものを神様は見ておられることが分かります。

 

でも同じ形になったものでも、神様が見られないものがあります。41節から左側、ヤギに分けられた人たちへ語りかけている、並行に表現されている言葉に注目したいと思います。ここで注目したいのは44節の言葉です。

42節から読んでみましょう。

 

25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、

25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』

25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

 

「お世話しなかったでしょうか。」という言葉はいくつかに解釈できると思います。

①「そのような時、私はお世話していた」という思いだったのか、あるいは

②「あなたがそのような状態にあるのを見たことはなかった、だからお世話していないのは当然ではないか」。という思いだったのか。

左側の人たちが、他の人に親切にしていなかった、ということは言えません。でも何かが違う。

文脈から考えると両方ともとることが出来ます。しかし、羊の側、右側にいた人の言葉はどうでしょうか。

「いつわたし達がしましたか」という言葉には、困っている人に食べ物をあげたり、飲み物をあげたり、宿を貸したりはしていたのです。でも王様に、あなたに、そんなことをした覚えはない、という言葉です。

これから考えると、つまり左側の人たちも、この人たちは王が、そうあなたが、このような時を見てはいなかったのであなたにそんなことはしてはいない、という訴えです。

 

左側にいる人たちは、自分より小さな人たちに対してそのようなことはしていなかった、ということです。もしかすると、自分より大きな人たちにはしていたかもしれません。友達には、特に自分の仲間には一緒にいて親切な行為をしていたでしょう。

でも王の言葉「この最も小さい者の一人にしなかった」という言葉には反論できなかったはずです。

 

聖書では、思いと心は、かならず行動で形になっていくと考えます。

思いを形にすることが求められています。

 

しかし、注意しなくてはいけないのは、心が形になっていくのが、ゴールではありません。

 

この右側にいる人たちが、「いつ」といった時、それが当たり前になって行くことが本当のゴールなのです。

当たり前になる時、それは繰り返し行うことによって身に付いた時です。

考えるより先に、手が出ている時。それが本当のゴールです。そのためには日々の生活の中でそれを行っていく必要があります。

本当は、金子みすずの詩も紹介しようと考えていたのですが、宮澤しょうじさんの詩をもう一つ紹介したいと思います。

 

君たちが歩くとき

 

君たちが歩くとき

君たちは一人ではない

隣りにも 前にも 後ろにも

君たちの仲間がいる

 

仲間のすべてが 汗だらけの顔で笑う

仲間のすべてが 信じ合う声で歌う

その顔にかがやく 君たちの希望

その声が呼ぶ 君たちの未来

 

君たちの心のカメラは

大自然のよろこびをとらえ

人間同士を結びつけるきずなの太さを写す

 

君たちが歩くとき

君たちは一人ではない

隣りにも 前にも 後ろにも

同じ道を行く仲間がいる

互いに支え合う仲間がいる

 

神様は、教会や学校を用意してくださいました。旧約聖書ではイスラエルの民達には各部族が、家族が、イエス様の時代には弟子たち、12弟子たちが同じ生活をするように言われました。

なぜなのでしょうか。

私たちは一足飛びに成長することはできません。赤ちゃんが、生まれてすぐに自分で食べ物をとることが出来ないように、完成された姿で地上に生まれていません。大人でも一緒です。なんでもできるわけでもありません。一つ一つ小さな過程、できるようになっていくのです。

その成長するために与えられているのが、仲間です。この仲間は、学校や教会にいます。

でも、残念ながら、皆さんの前にいる仲間は完成された姿でいるのではないということです。

イエス様の12弟子たちもそうでした。日々、誰が一番偉いのか、神の右の座に座ることが出来るのか、ということでケンカをしていて、イエス様から叱られていました。

仲間のいるところ、それは皆さんが自分のしなければいけないことをするために、社会に出る、伝道地に出るまでの、予行演習の時です。

だから、失敗が許される。失敗が許されているから、逆に自分や仲間の失敗で傷つくこともあるのです。一つの言葉で人を傷つけたり、傷つけられたり。

でも、大切なのは、それを繰り返さないこと。

そして、これから仲間のいない場所に行く時、本当に失敗が許されない場所に出ていく時に、その失敗を生かすこと。つまり、失敗を起こさないようにすること。

 

マタイの25章の王の言葉にある様々な、小さい者の一人にすることは、実は自己中心的な思いでいっぱいの私たちにはすぐにできることではありません。でも、知っている仲間にはできるかもしれない。ここで十分に準備をして、外に出ていく予行演習をしてほしいと思います。

 

確かに<こころ>はだれにも見えない

けれど<こころづかい>は見えるのだ

それは 人に対する積極的な行為だから

 

同じように胸の中の<思い>は見えない

けれど<思いやり>はだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為だから

 

見えないものを見えるようにしていく。まず仲間から。

 

君たちが歩くとき

君たちは一人ではない

隣りにも 前にも 後ろにも

君たちの仲間がいる

 

仲間のすべてが 汗だらけの顔で笑う

仲間のすべてが 信じ合う声で歌う

その顔にかがやく 君たちの希望

その声が呼ぶ 君たちの未来

 

よく長期の休みに入る時、ここで学んだことを、家で実行してください、と先生方がいいます。仲間のいるメンバーが変っただけです。学校でしてきたことを、家で行う。そうすれば、外に出た時、教会や、社会に出た時、できるようになります。

せっかく、毎日寮や学校で行っていること。自分で自分のことが出来るようになっているのですから、それをやってほしいと思います。自宅で行う時、また寮に戻って来たときに1から始めないで済むようになります。

 

神様はおっしゃっています。

25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

この祝福を受け継ぐための歩みを、準備を始めていきましょう。